12月21日(金) 2学期終業式を行いました。校長式辞の中では取り上げられませんでしたが、もうすぐクリスマスですね。クリスマスにふさわしい実際にあった話を紹介します。
「サンタクロースはいるのですか?」というお話です。
「サンタクロースはいるのですか? 」
ニューヨークの「サン新聞社」宛てにヴァージニアという少女からある手紙が送られてきました。
今から100年以上も前の1897年9月21日のことです。
『こんにちは、しんぶんのおじさん。わたしは8さいのおんなの女の子です。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶんにきいてごらん、というのです。ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか? ヴァージニア・オハンロン』
「サンタクロースはいるのですか?」という少女の問いかけに、サン新聞社は「社説」で返事を返しました。
『ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でも疑いたがる年ごろで、見たことがないと信じられないんだね。自分のわかることだけが、全てだと思ってるんだろう。でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、全てがわかるわけじゃない。この広い宇宙では、人間って小さな小さなものなんだ。私たちは、この世界のほんの少しのことしかわかっていないんだよ。
実はね、ヴァージニア。サンタクロースはいるんだよ!。愛とか思いやりとか、いたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらに輝きを与えてくれるんだ。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごく寂しい世の中になってしまうでしょう。サンタクロースがいなかったら、無邪気な子どもの心も、詩を楽しむ心も、人を好きって思う心も、全部なくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界を楽しくしてくれる子どもたちの笑顔も、消えてなくなってしまうだろう。サンタクロースがいないって言うのなら、妖精もいないって言うんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、煙突という煙突全部に、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうか確めてごらん。サンタクロースが来なかったとしても、何にも変わらないよ。だってサンタクロースを見た人なんてこの世にいないし、それがサンタクロースがいないっていう証拠にもならないんだから。 大事なことは、誰も見た人がいないってこと。妖精が原っぱで遊んでいるところ、誰か見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いないっていう証拠もない。世界中で誰も見たことがない、見ることができない不思議なことって、本当のところは、誰にもわからないんだ。あの赤ちゃんが遊ぶガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、不思議な世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。無邪気な心とか、詩を楽しむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見たり、描いたりすることができるんだ。
サンタクロースがいないですって! とんでもない! うれしいことにサンタクロースはいますよ。それどころかいつまでも死なないでしょう。千年後までも、いえ、バージニア、何十万年後までも、サンタクロースは子どもたちの心を喜ばせてくれるでしょう。
1897年12月24日 ニューヨーク・サン新聞』
サン新聞の記者は、少女に対して「見たことがないということは、いないということではないのです」と、やさしく語りかけています。愛とか、思いやり、まごころ、信頼など・・・この世には、目に見えなくても存在する大切なものがたくさんあります。逆に、「本当に大切なものは目に見えない」のだと説いています。そして、サンタクロースは「目に見えないもののシンボル」だというのです。
クリスマスの日には、この社説が私たちに教えてくれた「目には見えない大切なもの」について、今一度ゆっくりと思いをめぐらせてみたいと思います。