12月24日(木) 2学期終業式が行われました。
校長式辞は、「サンタクロースっているのですか?」。本当に大切なものは目に見えないというお話をしました。(以下に掲載します)
学年の代表3人は、この2学期頑張ったこと、反省すべき点などを堂々と発表してくれました。
終業式の後、担任から一人一人通知表を手渡されました。明日から14日間の冬休み。健康に留意して、3学期また元気に登校してきてください。
今から100年以上も前の、アメリカの8歳の少女がニューヨークの新聞社にある投書を出しました。
私は、8さいです。サンタクロースなんかいない、ってともだちは言います。パパにきいたら、 「もしニューヨークのサン新聞にサンタクロースがいると書いてあれば、確かにいるんじゃないかな」 と言いました。ほんとうのことを教えてください。サンタクロースはいるのですか。 ヴァージニア・オハンロン」
このヴァージニアという少女の投書に対して、ニューヨーク・サン新聞に返事の社説が載りました。
バージニア、おこたえします。 あなたのお友達はまちがっています。 その子たちは、疑い深い年頃で、何もかもに疑いぶかくなってしまっているのです。 自分の目に見えるものだけしか信じないし、 自分のちいさな頭で理解できるもの以外は、みんな嘘だと決めているのです。
バージニア、人間が頭で考えられることなんて、大人でも子供でも、小さなものなのです。 この限りなく広がる世界の中では、この世にある膨大な真実や知識の中では、人間なんて、1匹の虫のように、アリのようにちっぽけなものなのです。
そうです、バージニア。サンタクロースはいるのです!。 この世に愛や、やさしさや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。 もしもサンタクロースがいなかったら、この世の中は、どんなに暗く、さびしいことでしょう! あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が、考えられないのと同じように、サンタクロースのいない世界なんて、想像もできません。
もしサンタクロースがいなかったら、子供らしい心も、詩も、ロマンスもなくなってしまいます。 私たち人間の味わう喜びは、ただ目にみえるもの、手でふれるもの、 感じるものだけになってしまうでしょう。 こどもの頃のキラキラ光る光が消えて、まっくらになってしまうことでしょう。
サンタクロースを見た人は、いません。 けれども、それは、サンタクロースがいないという証明にはならないのです。 この世でいちばん確かなものは、子どもの目にも、大人の目にも見えないものなのです。 この世の中にある見えないもの、見ることができないものが、何から何まで、作りごとや想像したことだとは限らないのです。 あかちゃんのガラガラをこわして、どうやって音が出るのか調べることはできたとしても、まだそこにはベールに包まれた、見えない世界があるのです。 そのベールは、世界中のどんな力持ちが束になっても破ることはできないのです。 唯一、信じる心や、詩や、愛といったものだけが、そのベールをいっときひきのけて、その向こうにある例えようもない美しく、輝かしいものを見せてくれるのです。
そのように美しく、輝かしいもの、それは、人間のつくったでたらめでしょうか?
いいえ、バージニア、それほど確かなもの、それほど変わらないものは、この世には、他にないのですよ。 サンタクロースがいない、ですって? とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはいるんです、永遠に。 千年たっても、百万年のちまでも、子供たちの心をよろこばせつづけてくれるのです。
1897年12月24日 ニューヨーク・サン紙
「目に見えるものだけが真実ではないんだよ」と語りかける味わい深い文章は、やがてアメリカ中に知られることになり、100年以上を経た今でも多くの人々に読みつがれています。 クリスマスイブの今日、この社説が私たちに照らして見せた「目には見えない大切なもの」について、今一度ゆっくりと思いをめぐらせてみたいと思います。